小説

『ジョーカー 涼』読了。

なるほど……。

今までは噂程度に「とにかくすごい」とか「とんでもない」とか「読み終えた後本を投げつけたくなる」とか、
プラスにしろマイナスにしろえらい評価をされている、というだけの事前情報で読んだのだが。

そんな評価ももっともであろう。そう思った。

ミステリの体裁で書かれており、しかも眩暈がするほどに大量の(この人はとにかく
量で圧倒する手法をよく用いている……ように思う。まだ文庫で3冊読んだ範囲での
判断だが)要素を並べたててくるものだからすっかり読むほうの思考はそちら(ミステリ)
のほうへ向かうのだが……最終的に着地させられた場所は全然違うところ、少なくとも
これまで私が知っているミステリ(とされる作品)ではおよそ在り得ないほどの場所であった。





ところで、読了後、私は辻真先を思い出した。氏は、19世紀推理小説の黎明期に
盛んに追求された(らしい)「意外な犯人」を主眼とした作品をいくつか書いており、
「仮題・中学殺人事件」では読者を犯人とし、「盗作・高校殺人事件」では作者が被害者で
作者が犯人で作者が探偵となり(初めてこのフレーズを見た時は誤植かと思ったものだ。
懐かしい)、「改訂・受験殺人事件」は「『私が犯人なのだ』
という犯人のはしがきに始まり、犯人のあとがきで終わる」小説である。

ただ、これらの作品も、「意外な犯人」を生み出すために趣向は凝らされているが、
基本的にはそれまでのミステリと同じ空間に属するベクトルを持った作品である。

だが清涼院流水の作品のベクトルは(最初の見かけは似ていた(似せてあった)が)
違う空間に存在していた、ということだろう。





とりあえず次は『コズミック 水』だ。